どうしてミスを素直に認めないのか?
推敲の大切さを訴えている文章に表記の誤り
あるブログで「推敲の重要性」について書いていました。しかし、誤記が一箇所ありました(「完成」を「感性」と表記)。私はそれをメールで指摘しました。しかし、それに対して返信はありませんでした。そのブログはメールと電話による連絡先を記載していました。
そこで私は電話で問い合わせました。そうしたところブログの管理人は「今からメールを見ます」(メールを見ていなかった)と言っていました。私は「よろしくお願いします」と言って電話を切りました。
翌日になってそのブログを見たところ、記事は訂正されていました。そして、そのコメント欄に「ご指摘いただきありがとうございました」とありました。
すなわち、私の指摘に間違いはなかったということです。それを確認してとりあえずは一安心しました。しかし、メールでの問い合わせに対してどうしてメールでの返信でなかったのかということが私は納得できませんでした。
そこで私はそのコメント欄でその疑問を表明しました。そうしたところ、私の疑問に対して返信のコメントがありました。
>大変失礼いたしました。
>実は、ここで返信したのには理由があります。
>なぜだと思いますか? 「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。
メールで指摘したのにどうしてメールで返信しなかったのか、その理由がこれです。この説明では、「キーワードを入れて」とはどういうことか、どうしてそうする必要があるのか、さっぱりわかりません。そもそも、「キーワード」を「どこに入れるのか」わかりません。
「長文でご回答いただければ」もさっぱり要領を得ません。私が問い合わせている(質問している)のに「なぜだと思いますか?」と問い返しています。回答のしようがないことには、長文も短文もありません。
その記事に対するコメントはすべて承認されて掲載されるのですが、それに対してブログの主からは何のコメントもありません。まったく訳がわかりません。
推敲の重要性
http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c3b9-1.html